座長としてプロデュースするアイスショー「BEYOND」が大人気の浅田真央さん。
ショーの中では、浅田真央さんもペア演技に初挑戦するなど見どころ盛り沢山!
そんな浅田真央さんですが、皆に愛されるフィギュアスケーターとなるまでの道のりを、
ご両親がどのように育てたのかに改めて注目し、まとめてみました。
浅田真央の母・匡子の献身的なサポート
最近、浅田真央さんの姉の浅田舞さんが、ご両親の若い頃の社交ダンス写真を公開し、
「美男美女!」ととても話題になっていますね。
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母の匡子さんは2011年に48歳の若さで他界されていますが、
浅田真央さんを素晴らしいフィギュアスケーターに育て上げた、その教育について、
改めて振り返ってみると熱量がすごいと感じます。
もともと、母・匡子さん自身はバレエダンサーになりたかったそうです。
その夢は家庭の事情で叶えられなかったそうですが、娘へと託し浅田真央さんは3歳からバレエを習い始めました。
そして5歳から姉とともに名東フィギュアスケートクラブに入会。
そこで指導していたのが門奈裕子コーチです。
門奈裕子コーチは現在、名東フィギュアスケートクラブの代表顧問をされているようですね。
このスケートクラブには安藤美姫さんも所属していました。
もともとはバレエの練習の一環として始めたスケートと、体操やピアノなど9つも習い事をしていたという浅田真央さんですが、
その中で最後まで残ったのがフィギュアスケートだったそうです。
その後2000〜2001シーズンより、グランプリ東海クラブに通った浅田真央さん。
伊藤みどりを育てた山田満知子コーチ、樋口美穂子コーチに師事します。
幼少期から、浅田真央さん姉妹を毎日スケート場へ送迎していたという匡子さん。
スケートリンクを転々としたり、車中泊をしたりと、娘たちのためにとても頑張っていたそうです。
浅田真央 13歳
全日本フィギュア・浅田の演技女子シングル8位になった浅田真央(グランプリ東海クラブ)のフリー演技(長野市のビッグハット)
撮影日:2003年12月27日 pic.twitter.com/dBnD6TvL1A
— 浅田真央♡ふぁん (@maomao_fan_) October 19, 2022
2006年に浅田真央さんはアメリカに拠点を移し、コーチもラファエル・アルトゥニアンに変更になりましたが、
2007年12月に練習拠点を再び日本に戻し、ラファエルコーチとの師弟関係は解消されました。
その理由は諸説ありますが、母・匡子さんの体調悪化も理由のひとつではと言われているようです。
コーチ不在の期間もあったものの、指導コーチはほとんど母の匡子さんが決めていたそうです。
日本人嫌いのタチアナ・タラソワコーチをロシアまで追いかけ、浅田真央さんのコーチをしてもらえないかと直談判したことは有名な話ですよね。
すごくパワーのあるお母さんですよね。
【ソチ感動話】
タラソワコーチが大会直前の取材に、浅田に「自分の力を信じて。真央に備わっている力がきっと、道を開いてくれるはず」とエールを送っていた。 pic.twitter.com/MBTUfO8Wru
— 浅田真央♡ふぁん (@maomao_fan_) October 14, 2022
その後バンクーバーオリンピックが終わった2010年の夏にも、
母の匡子さんは佐藤信夫コーチの元を訪ね、娘のコーチとして指導してほしいと要請したのだそうです。
佐藤信夫コーチはこれに対して迷いもありながらも匡子さんの熱意に打たれ、
引き受けることにしたとインタビューで答えています。
真央ちゃんと佐藤コーチ素敵すぎる。゚(´つω・`。)゚。 pic.twitter.com/Gp3pp1DXY2
— 浅田真央bot (@asadamao3) October 16, 2022
匡子さんはフィギュアスケートの競技経験はありませんでしたが、独学でトレーニングやマッサージを学び、タラ・リピンスキーの演技の映像を観て研究していたそうです。
子供のために、そうそうできることではありません。
匡子さん自身が幼い頃に両親を亡くし苦労したことから、子供には同じ思いをさせないように、生きる道を与えなければと強く思ったのでしょう。
匡子さん亡き後も、浅田真央さんは皆から愛される素晴らしいフィギュアスケーターとして感動を与えてくれました。
2017年ソチでのフリー演技は、今観ても心が震えるような、涙なしでは観られない圧巻のパフォーマンスですよね!!
浅田真央の父・敏治は人気ホストだった
浅田真央さんのお父さんは、2005年頃まではホストをされていて、かなりの人気ホストだったようです。
お父さんのお店は「カーネギー」というホストクラブで、生バンドの演奏があり、ホストもジルバなどが踊れないといけないとされていたそう。
この他にも複数のお店を経営していたようです。
フィギュアスケートはとにかくお金がかかるので、お店を経営して支えていたのではないでしょうか。
2005年に浅田真央さんがグランプリファイナルで優勝を勝ち取ったことでゆとりが生まれ、お父さんはホストをやめたそうです。
浅田真央さんのCM収入が1億円以上あり、ローンの返済も楽になったこともあり、イメージも考慮して40歳でやめたとの情報がありました。
フィギュアスケートを習うと年間150万円、選手のグレードによってはさらにそれ以上かかるという情報がありました。
ご両親のサポートがあってこそ、浅田真央さんはフィギュアスケートを続けることができたのですね!
フィギュアスケートの浅田真央選手。
彼女の年収はなんと・・・約5~6億円!!スケートの世界もまた凄いですねw pic.twitter.com/KjdNLMFgGI
— 浅田真央bot (@asadamao3) October 19, 2022
浅田真央さんとお父さんの仲は、いろいろなことが原因でこじれてしまった時期もありますが、現在は和解しているそうです。
まとめ
浅田真央さんはご両親それぞれの献身的なサポートを受け、フィギュアスケーターとなりました。
華やかな世界でいつも笑顔のイメージの浅田真央さんですが、苦労もあったと思います。
アイスショーBEYONDもまだまだ公演が続くので、楽しみですね!